2018年08月

8月10日をもちまして当ブログはご訪問者様のべ24000ヒットを達成致しました。つつしんで篤く篤く御礼申し上げます。

更新のほうも継続は力なりでして、ゴールデンウィークとか大きな休みにしっかり更新したら読者も増え、何は無くとも日毎20名くらいのご訪問をいただくまでに至りました。8月5日付記事におきまして過去最高の8ナイスをいただきました。取っ付き憎い小所帯にお付き合いいただき、ナイスしていただきましたブロガー諸賢におきましては常日頃より当該ブログを贔屓にしていただたいており、これを機に格別に御礼申し上げる次第であります。



さて、「涅槃経」にはこうある。“私(釈尊)は昔、前世においてセンヨという名前のある地上の大国の王であったが、永遠不滅、永劫不壊の幸福を得る仏法を純粋に尊崇し、実践していたが、その最中、邪教の者共が仏法を誹謗するのを見て一応その言い分を聞いてはみたが、改悔しなかったのでその命を断つこととした。”

不殺生戒があるにも関わらず、邪教徒とは言え死刑にするとは何事か、と批難を浴びそうだが、知ってか知らずか己も人も世間さえ不幸へといざなう邪教を止めさせることで最悪の事態を防ぐ究極の慈悲であるようだ。

およそ仏教にはこのように人智の理解を超えた厳格な一面もあるのだが、肉食妻帯何のその、葬式仏教と言われて久しい日本仏教界はどこぞの大僧正が笑ってればどうたら、何とか大和尚が元気になれる言葉がどうちゃら、高説する割には破邪屈伏みたような事はなーんも実践しないから、まがい物が伝播して世情を騒がす結果となってるわけで、日本の仏教はまさに危機的状況に陥っていると言っても過言じゃない。

もっとも、邪教の者の命を断つという行為は、衆生の性が素朴で純真だった大昔だからこそ出来たわけであって、複雑に発展した末法の世の中だと殺人罪になってしまうんで、ここは税務調査なり何なり、財務状況をしっかり調べ上げて税金を搾り取る。そうすりゃ18万あるといわれる金儲けの信者集めでしかない邪教団体どもは大方消滅しちまうだろう。

てな事を邪教オウム真理教の大量死刑執行のニュースを耳にして思った。

この邪教集団がとんでもない団体だって懸念は前々からあったんだけど、どう見たってただのヒゲデブでしかない首魁が、劇場型というのか中々の詐術師、鬼弁屋でさ、大学出の似非インテリ幹部を率いて、メディアを使ってあの手この手でアピールしやがるもんだから、情けないことに日本中猫も杓子も騙された。

ビートたけしさんもな、あっさり騙されちゃった。いやー弟子のグレート義太夫みてぇだったからさ、コロッと騙されちゃったよね、オイラの黒歴史だよなっての、って笑いに替えたらいいんだよ。あの頃のたけしさんは「みんな~やってるか」って映画を見ればわかる通り、自他共に認めるかなり危ない精神状況にあってさ、何もかも行き詰まっちまったところへ邪教を礼讃した罰なのか、事故を起こしたんだ。その後森社長があちこち売り込んで世界の北野にお膳立てして復活したわけだけど、責めるのは酷だよな。そもそも連中の論戦術はかなりの腕前で朝まで生テレビなんかで周囲を黙らせてたからね。てか周りがだらし無さ過ぎるんだけどさ。

小林久三さんという推理作家がいて、秀吉サンカ説、西郷島津CIA長官説という斬新な説を唱えた本を出して、買って何べんも読んだものだけど、この方がEXテレビかなんかで、弁護士一家のミッシングと邪教オウムは関係ない、一家は生きているって主張した。ところが結果は最悪の事態だった。

この2人でさえそんな体たらくなんだから他の学者とかマスコミ風情のザマときたら推して知るべしでさ、テレビ局なんぞは風変わりな新興宗教だって色物扱いしてもて遊んだもんだから、とんでもない方向に増長しちまったんだよ。

世間の代表ぶったマスコミ連中は、理系大学出身者が太宰治の「駆け込み訴え」ばりの右大臣左大臣よろしく、幹部になっているのが奇異に見えたようなんだけど、おいらから言わせれば別段不思議なことじゃない。

大学のサークルにはサークルを隠れ蓑にして邪教やら鐚ゼニ稼ぎやら、ナンパや陵辱を目的にした屑パーティが存在して、こいつらに一旦足を踏み入れようものなら悪の色をつけられて逃げられなくされて、蟻地獄にはまってしまう。

そういう類で騙し仰せた輩を意図して大臣席に置いたただけじゃないのか。尤も、理系大学出よりも幼稚園逃亡したような低学歴の奴等のほうが多そうだけどね。統計取って見た訳じゃないからわからないけど。

そもそも弁護士一家に対する人でなしの所業は、TBSのワイドショーが放送前に情報提供しなければ事件は起きなかったと言われる。この時点でマスコミがオウムの邪教ぶりを抉り出さなかったのは、やはり宗教に無知な日本人のいわゆる宗教タブーへの忌避があったように思う。

この邪教団体がどうやって毒ガスやら武器やら蓄えられたのか、背後に潜む組織体Xがってレポートもあったけど、組織体Xがかなりでかくて危険な存在だったゆえか、結局明るみにならずに今も存続している。

そういうガンを裏に闇に抱えているのに死刑なんて意味あんのかね。

死刑制度の是非については、万引きで死刑になる国が邪教を処刑するのは当然とほざいたり、一度に20数人を処刑台に追い遣った国やら、死刑以前に暗殺という国なんぞが多言を弄するに及んでは何をか言わんやなんだけどさ、EUの見解がおいらと全く同意見なので、詳しくはそれ見てもらうことにして、敢えてここでは触れないよ。

溜め込んだ有名死刑囚を処刑するのは平成最後の夏しか無いという話は週刊誌なんかに書いてあったけど、新天皇即位で恩赦になるからってことらしい。
恩赦って何の為にあるんだろうね。それがあるから多少悪いことして捕まっても大丈夫ってなる輩が出るって昭和から平成になる頃に言われてた。

恩赦と違ってわかりやすいのは、独裁ないし、独裁国家を志向する政権にとって死刑とは、国民を悪人成敗の大義名分の下、楽ちんに支配し、統制し、威圧恫喝出来る手段なんだということ。そういうことがわかってない奴らが死刑制度に関するアンケートに死刑賛成に与同するわけなんだけど、“いわゆる死刑賛成論者はまかり間違って自分が死刑の判決を受けたとしても、その執行の瞬間まで死刑賛成を叫ぶのか蓋し見物だな(笑)”ってコメントをヤフーニュースのコメント欄に投稿したら、案に違わず青ポチがひっきりなしだった(笑)

実際に想像してみなよ、一つの刑務所で次死刑になる囚人ー、はい、次死刑の囚人ー、てベルトコンベア式に始末されて片付けられて処理されていく様を。死刑囚を税金で食わすなー(その前に納税してんのか)、被害者感情考えろーなんていう安全圏で上から目線な似非ヒューマニズム論は雲散霧消すっから。

要らない知識だけど、日本一コワイとされる網走刑務所はそんなコワくない。何故なら死刑の設備が無いから。むしろ死刑の設備がある宮城刑務所のほうがコワイ(禁笑)

でももっとコワイのが現代亡国日本政治が宗教国家になってしまってるってこと。ウルトラ・ラジカル・コンサバティブ・ナショナリストの祭政一致団体、日本会議と神道政治連盟の翼賛者と称する大勢の国会議員が閣僚大臣の椅子を占拠して愛国、神国、改憲と囀っている一方で利権を貪っている。神政連なんて蜃気楼の失言の印象しかないけどね。こいつらの給料が死刑囚の生活費以上に税金の無駄使いだっての。

ヘリ墜落事故で死んでCG影武者を使い、今は霊界で見守っているらしい(無間地獄の間違いじゃねーのか・大爆笑)文鮮明が作った国際勝共連合なんて輩もいて、それとズブズブな関係にあるあの首相が、日本会議と神政連の大幹部に鎮座ましましている。げに愛国心は悪人の最後の拠り所とは良く言ったもので、学校に自分の名前を入れたいと媚売った人を、都合が悪くなると知り合いじゃない、会員じゃないと抜かして蜥蜴の尻尾切りする様はどいつもこいつも半端なメンタルしていない(笑)

ところがこいつらはリベラルと云われる今上陛下に嫌われていて、生前譲位は似非右翼共への最後の抵抗なんだという。実は暗闘、憂慮、苦衷があることも知らないで、世に情報、通信網が発達しても衆愚は呑気だいっちゃなと思う。

こうした超極右保守民族主義者らは一体この国をどうしたいんだろう。連中の云う豊葦原の瑞穂の国に種子法を廃止して外国の怪しいタネが入り込めるようにしたりとか矛盾してる。
何で遺伝子組み換えなんてのがあるかって?嘗てベトナム戦争でダイオキシンを製造したモンサントって会社が平和利用だってんで超強力農薬を製造した。でも強力過ぎて作物も枯らしてしまう(笑)から、遺伝子を組み換えて枯れない農作物を作って、セットでビジネスしてるわけ。

あげくに選挙権に成人年齢を下げたと思ったら飲酒喫煙年齢も引き下げた。引き上げるんならわかるけどね。

このニュースを知った時、おいらは小早川秀秋を思い出した。齢18にして触っても判るくらいの重度の肝硬変だったらしい。21歳で早死にしたのは大谷吉継の祟りでは無いらしい。真田丸では宇喜多秀家だけど(笑)
神国日本の理想的治世と手放しで礼讃する明治時代には法律で禁止されるまで小学生が煙草を吸うということもあったようだ。

そうなると卒業式に酒盛りする高校生が濫立するね。今だってツイッターやインスタグラムを開けば卒業を解禁と勘違いしてる“バカッター”や“飲酒た蝿”どもが飲酒喫煙をバンバン投稿してる。狡いのになると24時間で消えるストーリーズを利用してね。

成人過ぎりゃその後の長い人生呑み放題なのに、どこぞの野球部と剣道部の一部が、去年の11月27日っていう中途半端な時期に、馬鹿なことに無許可の店で呑んで、不覚にもアル中でバレたっていう、救い難い位とんまな事件があったけどさ、宮城県のあの高校の生徒が酒呑むってのは平成17年(2005)5月22日の事件に対する侮辱であり、冒涜に匹敵する行為なんだよな。その2か月後の7月16日にも未成年飲酒に関する事件があった。

時期的にこんな事書くとヤバイかも知んないけどさ、記念大会に合わせて対外試合解禁とかふざけてんのかって思ったな。
まーついでに書くけどさ、去年、対戦相手にぶつかったんは事故やと思うよ。ぶつかった後にすっ転んどるし、あの場にいた審判も、対戦チームも観客もなーんも言わへんかったし。わざとってなれば大阪人は黙らへん(田舎かてそうやけど)から、監督が縦より横の体を揺らしながら、われー!何さらしとんねん、反則やぞボケー!って騒ぐやろうし、観客かて物投げ込んだり、帰れコールなるわな(いつの試合やて)。
それをネットにわか野球評論家が似たようなサッカー選手の写真貼り付けて、繰り返し動画でもって選手の実名晒して匿名のアカウントが誹謗中傷するとか、卑しくもおぞましく思ったね。

で、昨日まで紅白戦しかしたことない冬眠明けの獅子が県代表とか、マジか、宮城県の野球レベルって思ったな。だからいっそのこと廃部にしちゃえば良かったんだよ。廃部にして東北高校と合同チームを作る。新しい真紅の大優勝旗が白河の関を越えるかもよ。白山や金足農以上の話題になること間違い無い、かもしれない(笑)東北高校じゃなくとも選手の少ない学校に出したらいい。今まで合同チームが1回戦突破したことなんておいらの記憶には無いから、これこそドラマになるんじゃない?

後三年合戦の再来を思わせる、わけないけど(でもそれぞれの地元同じだよ)金足農の球数制限と大阪桐蔭の越境入学の問題は、その投手同士が隣り合って甲子園の土を集めた時に表裏一体の問題なのだということがわかる。で、大会終了後の甲子園に虹がかかったとか、奇跡は時に悪戯な罪を犯しやがる。感動と興奮、熱狂と感謝で高校野球の歴史に澱の如くこびり付いた錆や淦はあっさり掻き消され、誤魔化された。その深刻さたるや、相撲にレスリングやアメフト、ボクシングの比じゃないんだから。問題は次の100年に持ち越しって高野連め、命拾いしやがった。

とまぁ色々書いてっと止めどなくなるし更新も滞るからこの辺で終了。長々とどうも失礼しました。

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9代満信は初代清重ほどではないにしろ、極めて英邁な当主でした。合戦はほぼ負け知らず、領地も登米郡、桃生郡と拡大させています。政治的にも東北を代表する大人物だったことが系図に記されていて、「末永系図」にも弓馬の達人であると評価されています。

葛西満信が側室を身籠らせた中での死因は、記されていませんが、脳卒中や心臓発作などの突然死だったのではないでしょうか。病魔に蝕まれて死期が近付いている瀬戸際に子作りというのは中々考えられません。自殺や暗殺はこの人物には相応しくないので、悪くて不慮の事故死が考えられます。

33年間家督にあった一方で51年という生涯は、17人と1人いる葛西氏歴代当主の中では意外にも、疫病で没したと思われる3代時清と毒殺された12代尚信の30代、8代詮清と病弱だった16代親信の40代に次ぐ5番目の短命となります。惜しむらくはもう後10年20年、長生きしてくれればその後の葛西氏の運命や、そしてそれに伴う末永清連の生涯も変わったやも知れません。

次男持信が10代太守を継ぎます。



涌津岩渕氏の系図によれば応永27年(1420)は、磐井郡涌津館主(岩手県一関市花泉町)涌津岩渕相模守泰経に長男真経が誕生します。母は磐井郡流荘中村須崎館主(岩手県一関市花泉町花泉)中村尾張守信兼の娘とありますが、中村氏の系図には記載がありません。

薄衣氏の系図によれば、葛西満信の義父で磐井郡薄衣館主(岩手県一関市川崎町)薄衣志摩守清仲(越前守常愛)が没します。享年70歳。長男清藤(藤胤・1376~94)が早世しているため、次男内匠頭清棟(伊勢守尊胤)が跡を継ぎます。

ちなみに清棟の4弟直益は葛西満信の叔父相川葛西信益の養嗣子になったと記しますが、“尊胤”の4弟となると、満重と記され、日和山葛西信重の養嗣子になったと記します。この日和山葛西氏と薄衣氏の関係とか、ここで説明しようとなると煩雑になるので後述します。

弥勒寺佐藤氏の系図によれば応永28年(1421)2月、元良郡馬篭信夫館主(気仙沼市本吉町)佐藤肥前守信忠の長男薩摩守信行18歳が恐らく太守持信近習として寺池城に上がります。その報酬は切符月俸とあり、給料みたいなものでしょうか。

「源姓黒川氏譜」によれば3月、最上治部大輔氏直が出羽国村山郡新庄城主(山形県新庄市)となり、約1000町(約1000ヘクタール)の領地を賜ったと記されます。与えたのは3代羽州探題でもある兄修理大夫満直でしょうか。

遅くとも9月までには9代満信の遺児となった7男新九郎信有が誕生します。清連にとっては同母弟にあたります。

熊谷氏の系図によれば、元良郡赤岩館主(気仙沼市)熊谷備中守直致の長男小次郎17歳は、葛西持信に仕え、年齢から近習だったと思われますが、その一字を与えられ、信直と名乗っていましたが、叔父である右馬助行統の娘と結婚し、長男直茂(信茂)が誕生します。

12に続きます。

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100代後小松天皇には捨て皇子一休宗純を含め、3人の男子がありましたが、破戒堕落坊主だった一休、101代称光天皇は妄想ヒステリー症であるなど、どうしたわけかまともな性格の子供に恵まれません。そこんとこはDVやらかした祖父に似たのでしょうか。

特に3男小川宮(こがわのみや)17歳というのが度し難い気違い皇子サマで、応永27年(1420)1月3日、新年を言祝ぐ儀礼の最中、理永女王と思われる15歳の妹を陵辱目的で暴行するという尋常ならざる蛮行を起こします。小川宮の実名は不明ですが、クズ野郎であるが故に実名を消されたか、或いは名前を与える間もなく成長してしまったのかもしれません。

「佐久間本平姓国分系図」によれば春、国分氏11代盛忠の次弟兵庫助盛定が、兄が室町幕府派だったのとは対象的に、鎌倉府4代公方持氏に近侍し、相模国鎌倉郡山内(神奈川県鎌倉市)に居住し、かつて父盛経が亘理重胤と合戦した名取郡川上邑(名取市高舘川上)500町(約500ヘクタール)を所領とします。

この兄弟のその後を考えるに、次弟盛定が長兄盛忠と対立して袂を分かったのではなく、後の真田氏の犬伏の故事の如くに二股膏薬を決め込んでお家の存続を計ったものと見られます。

変態宮様の嫌な事件から始まったこの年は大飢饉という憂うべき1年となりました。

それは葛西氏にとっても嫌な年になりました。



11月18日、9代太守葛西陸奥守満信が没します。享年51歳。

戒名は「A類系図」には存在が否定されているため記述無く、「B類系図」では龍源寺殿正山覚祐大居士。

官職は壱岐守、陸奥権守、陸奥守。同時文書から陸奥守であったらしいことが判明しています。

また、奥州探題であったと「B類系図」には記されていますが、東北地方を仕切れる大大名だったくらいに解釈しておきます。大崎斯波氏の存在もありますし、なにより探題ならあちこちにその権力を行使した書状が遺されている筈なので。

戒名の龍源寺殿とは、この時期登米郡寺池(登米市登米町)に建っていた天台宗桁渕山柳源寺(現曹洞宗桁渕山龍源寺)のことではないかと考えられます。新田小野寺氏の分家登米氏子孫の建立と見られるこの寺院は、遠い親戚である山内首藤氏のお膝元・桃生郡中野(石巻市)にも似たような名前の寺院を建立せしめていましたが、恐らく建立当初は龍源寺だったのでしょう。それが何時しか柳源寺となったものと見られます。(第九章84、第十一章7参照)

先妻太田重次の娘との間に長庶子信宗(1388~1439)、長女は信夫祐時の妻となり、後に江刺重顕の妻となっています。

後妻薄衣清仲(常愛)の娘との間に次男持信(1398~1469)、3男高館信敏(1403~56)、4男西舘重信(1408~75)、次女薄衣清益(胤益)の妻。

佐々木氏の系図にのみ記される素姓不明の娘が佐々木景綱の妻となっています。

そして家婢とのみ記される女性から5男末永清連、6男信国と続き、この時点で清連の母は3人目を身籠っていました。

11に続きます。

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