源義家の裁定に清原家衡は不満を持ち、事あるごとに清衡を讒言しますが義家は相手にしません。そればかりか清衡を贔屓するばっかりで取り付く島もありません。
そうこうしている内に源義家は家衡に清衡の屋敷・豊田館に同居するよう命じます。
応徳3年(1086)、清原家衡は密かに手下に命じ、清衡を暗殺しようとしますが、清衡は事前にこれを察知し、草むらの中に隠れて難を逃れたものの、家衡は館を焼き払った挙句、清衡の妻子眷属を皆殺しにしてしまいます。
源義家の裁定からかれこれ3年が経っていました。正直何を今更、という感が否めないでもありません。
安倍合戦における阿久利川事件を、その不可解さをもって謀略ではないかと考える向きは少なくありません。
また、清原合戦における真衡頓死を、やはり暗殺だと疑う向きも少なくありません。おいら個人の意見としては、この二つの事件は陰謀ではないかと見ています。
しかしながら清衡襲撃事件を謀略だ、と疑う人はおいらの知る限りでは余り見受けられません。阿久利川事件や真衡頓死を謀略と疑うなら、この事件も陰謀ではないかと疑ってみる価値はあるというにも関わらず、です。
まず清原家衡自身に不満を感じる蓋然性がありません。先程も述べたように、三郡といっても何処と何処と何処なのか、はっきりしないのです。それに、今までさしたる所領を持っていたかどうかもわからない、謂わばニートのような若者が突如として、村とかではなくて、瘠せても渇れても郡を三つも貰えたのなら、破格の待遇でしょう。シカトされた成衡に比べたらラッキーなほうです。
ラッキーついでに、国家に準じて戦った成衡よりも国家に反逆した家衡のほうが好待遇だったという事実を忘れてはなりません。しかも成衡は源義家の義弟なのです。不満を持つことさえおこがましいし、実戦経験から義家に逆らえばどうなるかも身に沁みてわかっている筈です。
更に殺害すべき対象者は父親違いながら一つ屋根に住んでた同腹の兄弟なのです。もっとも、兄弟だからといって必ずしも仲良しこよしでないことは古今東西枚挙に暇はありませんけど、もっと具合の悪いことには、清衡の妻は清原一族、もしかすると腹違いの姉である可能性があるのです。
清原家衡は我儘で欲望肥大のままに血の繋がった兄と姉を手にかけようとしたのでしょうか。
周りの家来達はどうだったのでしょう。本人らがその気はなくとも、周りが対立したために仲違いした例もあるにはあるのですが、真実を語ってくれるものは何一つありません。
そして二人の母親である有は?あまり考えたくはありませんが、この頃母親は亡くなっていた可能性が高いのではないでしょうか。存命であれば争い合う兄弟間の抑止力になったでしょうから。
21に続きます。
そうこうしている内に源義家は家衡に清衡の屋敷・豊田館に同居するよう命じます。
応徳3年(1086)、清原家衡は密かに手下に命じ、清衡を暗殺しようとしますが、清衡は事前にこれを察知し、草むらの中に隠れて難を逃れたものの、家衡は館を焼き払った挙句、清衡の妻子眷属を皆殺しにしてしまいます。
源義家の裁定からかれこれ3年が経っていました。正直何を今更、という感が否めないでもありません。
安倍合戦における阿久利川事件を、その不可解さをもって謀略ではないかと考える向きは少なくありません。
また、清原合戦における真衡頓死を、やはり暗殺だと疑う向きも少なくありません。おいら個人の意見としては、この二つの事件は陰謀ではないかと見ています。
しかしながら清衡襲撃事件を謀略だ、と疑う人はおいらの知る限りでは余り見受けられません。阿久利川事件や真衡頓死を謀略と疑うなら、この事件も陰謀ではないかと疑ってみる価値はあるというにも関わらず、です。
まず清原家衡自身に不満を感じる蓋然性がありません。先程も述べたように、三郡といっても何処と何処と何処なのか、はっきりしないのです。それに、今までさしたる所領を持っていたかどうかもわからない、謂わばニートのような若者が突如として、村とかではなくて、瘠せても渇れても郡を三つも貰えたのなら、破格の待遇でしょう。シカトされた成衡に比べたらラッキーなほうです。
ラッキーついでに、国家に準じて戦った成衡よりも国家に反逆した家衡のほうが好待遇だったという事実を忘れてはなりません。しかも成衡は源義家の義弟なのです。不満を持つことさえおこがましいし、実戦経験から義家に逆らえばどうなるかも身に沁みてわかっている筈です。
更に殺害すべき対象者は父親違いながら一つ屋根に住んでた同腹の兄弟なのです。もっとも、兄弟だからといって必ずしも仲良しこよしでないことは古今東西枚挙に暇はありませんけど、もっと具合の悪いことには、清衡の妻は清原一族、もしかすると腹違いの姉である可能性があるのです。
清原家衡は我儘で欲望肥大のままに血の繋がった兄と姉を手にかけようとしたのでしょうか。
周りの家来達はどうだったのでしょう。本人らがその気はなくとも、周りが対立したために仲違いした例もあるにはあるのですが、真実を語ってくれるものは何一つありません。
そして二人の母親である有は?あまり考えたくはありませんが、この頃母親は亡くなっていた可能性が高いのではないでしょうか。存命であれば争い合う兄弟間の抑止力になったでしょうから。
21に続きます。